Nekotamibnneko

2023年8月13日日曜日


こちらのブログでは、かなりお久しぶりです。

さて何から話そう。

去年父が亡くなり、今年の1月の終わりに大事な母方の祖母が亡くなり。
今年のそれこそ猫の日に、だいぶ長生きしてくれた愛猫のチャドが亡くなり。

チャドはおそらく18年くらいは生きてくれた、長生きの猫でした。
6匹の子猫を産んだセイお母さんの最後の子供だったので、
なんだか一つの時代が終わったくらいの悲しみと感慨もあり。

新しいブログやnoteのエッセイなどでは語ったこともありますが、
まあこちらでは何も言っていないのでなんとなく、ご報告まで。


あ、ちなみに、そんなわけで年賀状は来年もあれなので、
いっそのこともう年賀仕舞いにしようと思いますので、
どうぞこれからはメールでもハガキでも年賀状は
お送りしないでいただけるとありがたいです。
どなた様も、どうぞお気遣いなく。


今年2023年の前半は、本当に人として最も尊敬している人の一人である、
母方の祖母が亡くなってから、彼女の遺品の整理とかもしていたのですが。

ついでに家の蔵に大昔からただ大事にしまわれていて、
おそらく一生使わないであろう高級食器とか、良いお品なんだけど
使わない引き出物のお鍋とかを寄付先に送ったりしていました。

私や母の服も、なんやかんやで毎日結局着やすい服ばかり着て、
ちょっといい服だけど、おそらく寄付先の人のほうが役立ててくれるだろう
そういう服なども寄付したりしていたのです。

でも、『クレイジージャーニー』の『ゴミの回』などを観ていると、
(必見! まだ観ていない人はぜひ観てみてください!!)
服もただ送るだけじゃ迷惑になっている可能性もあるのかもとかも思いつつ。


自分が死んだら、ほとんどの物がゴミになったり、
どこかの誰かが処理しなきゃいけなくなると思うと、
余計な物はなるべく持たないほうが良い生き方なのかもな、と。

長い間死にたいと思っていても死ねないし、
おそらくは『死にたくない』と思っていた人たちが
亡くなっていく世界で、自分が残りの命でできることは
何なのだろう。





去年の9月頃かな? 
それこそ人生で一番信じていたからこそ、裏切られた苦しみで
何十年も辛かった相手から再び連絡が来ていたことに気がついて、
それから一ヶ月くらい、その相手と再び親交を深めるべきか、
「また裏切られて苦しむくらいなら、やっぱり死のう」
っていう思いの間で悩んで、朝まで眠れない日が続いて、
今に至ります。

身勝手な人間ってなんでこう無神経なんだろう。
ようやく、また人と向き合おうと決意してたときだったから、
その時は葛藤しながらも返事だけはしてしまったけど。
やっぱり無視したほうが良かったんだろうか。

結局もう最近は夜に眠るのは諦めました。
それからずっと不眠症なので、どうせ朝の5時くらいまで眠れないし。
明け方になってようやく、記憶が薄れて眠れる感じ。
それでも眠れているのは三時間くらいかな。

まあそんな感じです。
あれ以来、結局メールのチェックも半年以上できてないし。

新しいことを始めようと思って買っていたタブレットも、
何ヶ月も立ってようやく箱を開けました。まだ電源も入れてないけれど。

書き溜めていた作品もあの日から手を付けてないし。
連絡先表示とかで自動で反映されるのやめてほしいな。
今まで使っていたタブレットすら、電源を入れられなくなったし。
旧ツイッター、いっそのこと削除してしまえばいいのかな。
旧ツイッターは放置して、例のあの新しいsnsでつぶやこうかなとか。

一応、これからまた、去年新しくやってみようと思っていたことを
始めようとは思っているけれど。本当に復活できるのかな私。

まあそんなのがこのところの私。

どうせ死ねないのなら、そろそろ頑張って生き直さないととも思っています。
もうここを読んでいる人もあまりいないだろうと思って、ただ書き留めておきます。





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